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Zenマンガってどんなお話?先に「Zen」の世界に触れてみたい方はこちらの基本ストーリーをお進み下さい

マンガ版「リョータのZen」のプロットは、この基本ストーリーをベースとしたものです。

十牛図はこちらから

りょう太のZen ― 目覚めのとき

 

小学3年の大山りょう太、おっとりしておとなしいが芯が強い子で、ユーモアのあるキャラクター。2年前から父の勤務地であったシカゴでのびのび育ったはずだが、今一つ元気がない。子供向けの空手塾に通うも、気合を出すときにか細い声しか出ず、女性インストラクターから、声が小さいと叱られる。

日本へ帰国して、小学6年で中学受験に失敗。ちょっと落ち込む。

人に勧められ坐禅講習会を覘きに行く。我慢して何とか20分を3回坐りぬくことが出来たが、未だにZenがどういうものなのかがわからない。近づいた卒業式の練習になったと言って、長い退屈を我慢できた感想を述べて、大人の参加者の笑いを誘った。

 

中学校に入り、サッカー部かバスケットボール部か迷ったが、最終的に剣道部に所属する。おとなしい性格から、大きな体力のある子からいじめにあう。

体力は次第についてきたが、剣道部では部員は皆自分より俊敏で強い。自分より背の低い外国人の子供剣士ミハエルにも歯が立たない。その子は、ドイツ人で、お父さんから剣道の指導を受けていると言う。

 

勉強も手につかず、悶々とした日を過ごしているうち、ある時、江戸時代の剣豪の夢をみる。前に見た黒沢監督の映画「7人の侍」の一場面だ。

街を歩いていた侍が、悲鳴を聞いてふと見ると、幼子を人質にとった盗賊が、土蔵の中に追い詰められて、子供に刃を突き付けて、近寄ると殺すぞと叫んでいる。親御さんから何とかしてと泣きつかれた侍は、墨染の衣に着替え、握り飯を作らせると、それを持って土蔵の中に入り、「そら、食い物を進ぜようと」声をかけて、油断したすきに相手を制し子供を素早く取り返すという場面だ。

 

祖父に尋ねると「上泉(かみいずみ)伊勢守信綱」の話ではないかとのこと。

そこでインターネットで調べ、戦国時代に尾張一之宮の禅寺・妙興寺で修行し新陰流の開祖となった剣豪であると知る。その弟子は柳生宗巌(石舟斎)、そしてその子は江戸時代初期に兵法指南役として徳川家に仕えた柳生但馬守宗矩である。いずれも、剣禅一致の境地を会得したと言われる。柳生但馬守宗矩は特に、沢庵禅師の指導をうけ、禅師から「不動智神妙録」を送られた。

 

りょう太は、沢庵禅師の教えにひかれ、「不動智神妙録」に関心をもった。

難しくてわからないが、解説本をひととおり読んで、なんとなく大事なことが書いてあることは分かった。そのうち夢に沢庵禅師が現れ、キーワードを解説してくれた。キーワードは、「不動智」という言葉だ。お不動様はこわい顔をして山門で睨んでいる。

しかし夢に出てきた沢庵は、不動といっても、石や木のように固まってはだめだ。コマはビューンと回すと、一か所にピタッと止まって見える。これは止めているのではなく100%活発に動いている結果だ。心を一箇所に留めないで動の極致に置く、その状態を不動と言うのだと解説する。

剣を構えて、心を相手に置けば相手に心を取られ、心を自分の剣に置けば、そこに心を取られ、目に置けば目にとられ、足に置けば足にとられ、心が止まるとそこに意識が固まって自由度を欠き、相手に一本取られてしまう。

心はどこにも置かなければ、心はすべてに働く。「往無処住而生其心」(まさに住する処無くして其の心を生ず)これが剣の極意だ。

 

またりょう太は、吉川英治の「宮本武蔵」を読んで、そこに沢庵さんが登場したので驚いた。これは史実ではないと吉川英治が明言しているようだが、武蔵が禅を学んだのは事実のようだ。りょう太は、武蔵が晩年書いた「五輪書(ごりんのしょ)」の中に「観見二つの眼」という言葉があることを知った。( 地・水・火・風・空 の五巻からなる五輪書の水の巻)「目の付けようは、大きに広く付くる目也。観見二つの事、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見る事、兵法の専也。」
これは簡単に言うと、「戦いの時は目は大きくくばる事。目には観(かん)の目と見(けん)の目があるが、観の目を強くし、見の目は弱くする。離れた所の動きを掴み、身近なものは離して見る事が兵法の上で最も大切である」というような意味だ。全体を(止めない)心で大きく見るのが「観の目」、局所を注視するのが「見の目」と解釈できる。

 

しかし、剣道の試合の実際の場面で、「心を何処にも置かない」とか「観の眼で見る」などということは、なかなかできない。心は迷い、引っ掛かり、剣を持つ手は動かず、体は硬直して、相手に「メーン」と一本取られてしまう。夢の中の沢庵さん話や宮本武蔵の五輪書で、なんとなくわかったが、実際にはできない。何度も試合に負け、悩み続ける。

 

剣道のライバルのドイツ人の子から、オイゲン・ヘリゲルという人が書いた「弓と禅」と言う本を借りた。読んでみたが、よくわからない。いやなんとなく無心で弓を射るということの大切さはわかり、それを剣道に応用すると、無心で剣を振ると言うことだと理屈でわかるが、実際にはできない。試合には負け続けた。

 

悶々とする時期が続き、また夢を見た。今から800年前中国の廓庵禅師が出てきて、次のようにりょう太に告げた。「お前はZenの真理が少しわかりかけたが、これから先は実際に坐禅をしないと、身につかないのだ。お前は牛の足跡を見ただけで、まだまだこれからじゃ。」と言って、禅師が自ら書いた「十牛の図」(別紙)を読んでみろと言い残された。

 

遼太は、十牛の図の本を取り寄せ読んでみた。

尋牛(じんぎゅう)・・・牛(真実の自己)を尋ねる、自分さがしの段階

見跡(けんせき)・・・話を聞いたり本を読んだりして、牛の居場所が解ってくる

見牛(けんぎゅう)・・・牛をチラッと見る。

得牛(とくぎゅう)・・・牛を何とか捕まえる。しかし野生の牛にはすぐに逃げられる。

牧牛(ぼくぎゅう)・・・牛を飼い慣らして自分の思うように動くようにする。

騎牛帰家(きぎゅうきか)・・無理に手綱を引いたり鞭打ったりしなくてもついてくる。

忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん)・・もはや牛は不要、宇宙大の自己。

人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)・・宇宙大の自己も奪う、人も不要、絶対無の世界

返本還源(へんぽんかんげん)・・元の世界に戻る、山はこれ山、水はこれ水

入鄽垂手(にってんすいしゅ)・・街へ入り、手を垂れて日常生活にいそしむ

 

 

Zenへのアプローチ

 

それから、りょう太は一念発起し坐禅会に通うこととなった。清澄白河にある在家禅の会の道場だ。日曜禅会では、一回30分~40分の坐禅、5分休んで、3回繰り返す。

大人の初心者に交じって坐ってみたが、大人が「足がしびれた、痛い」と苦しがるのに、若いりょう太は身体が柔らかいので、最初から結構楽に坐れた。また、一人だけで自宅で坐るより、大勢の坐禅会で坐ると、心が落ち着き、坐禅に集中できる感じがした。

 

坐禅は、足を組んで坐り身体を調えること(調身)と、呼吸に専念することにより心を調えること(調心)から始まる。調心の手段としては数息観(呼吸の数をかぞえる)や随息観(息の出入りに集中する)から入る。規則的な呼吸を行うことにより、三昧(サマーディ)の境地に達する。それだけで、身体的には丹田が暖かくなり、自律神経は活性化する。摂心会のように終日坐り続けることにより、すばらしい心的境界が開けるとともに、環境変化に動じない定力(禅定力)がついてくる。意識は宇宙的無意識にまで広がり、真理の直観(気付き=悟り)を体験する。

 

調身・・坐り方

調息・・息の仕方

数息観 

隋息観

調心・・心の整え方

 

りょう太は、坐禅は瞑想の一種、要は無になるということだと理解した。

眠気がさめて、さわやかな、ゆったりとした気分になる。

こだわりがなくなり、心を止めないということが、できるようになった。

 

それから、剣道での腕は飛躍的に上達した。試合でも、きれいな一本を何度もとることが出来た。それでも完全な自信は得られていない。だんだん強くなり、団体戦でも中堅や大将を任せられるようになる。しかし、またスランプがやってきた。6割の自信はできたが、4割の打たれる怖さ、負ける怖さがどうしても自分を悩ませた。心が自由にならないのだ。

 

そうこうするうちに、りょう太も中学から高校へ学年が進み、また青春期の、人生への悩みも始まった。何のための受験勉強なのか?勉強が手につかない。

 

たまたま書店で、鈴木大拙の「禅と日本文化」を見つけて、貪るように読む。禅が単なる宗教ではなく、日本人の生活や文化を広く支える心の原点となっていることを知った。

 

「禅と日本文化」の第一章「禅の予備知識」の出だしは、「禅とは夜盗術を学ぶに似たるものだ」という説話から始まる。年老いた夜盗の父がその息子に商売を覚えさせるために、ある時息子を夜盗に連れて行き、騙して長持ちの中に閉じ込めて、自らは泥棒だと大声で叫んで逃げ出した。これは息子が自力で、危機一髪窮地を脱して逃げ帰る中で、どのように臨機の決断と応変の行動を学ぶか、実地の教育手法であった。禅を学ぶとは、それと同じことだという。

正しく生きる術は、論理ではなく、実地に身をおいて自ら体験する以外にないとして、禅のモットーは言葉に頼らない「不立文字」であるとする。

 

第二章の「禅と美術」では、日本文化の根底にある「わび(侘)」と「さび(寂)」について解説する。「わび」は飾り気の無い単純性を味わう日本人の心的習慣を通じてその生活文化に深く入り込んでいる。

雪舟など禅宗画家の絵や水墨画などに見られる、非均衡性、非相称性、孤絶性、単純性等の日本文化の特質は、「一即他、他即一」の禅の真理を中心から認識することに発するという。

 

第三章の「禅と武士」では、元寇の際蒙古軍を打ち払う決断をした北条時宗の意志力の背景に、仏光国師から学んだ禅の力があったことに触れている。禅が武田信玄、上杉謙信、伊達政宗など武将や武士の精神的よりどころになったのはなぜか?それは禅が「生と死の問題」を正面から扱い、死に直面することを迫るものだからである。昨今「武士道」が脚光を浴びているが、武士道の根源にあるのが生死の問題を超克する禅のこころなのである。

第四章は剣と禅の関係についてだが、これは前のとおりで省略する。

 

第五章の「禅と儒教」では、中国宋代の禅と朱子学の関係から、江戸時代の日本において禅と儒教と神道がどのように相関し、相互に影響しあって日本文化の基礎を固めていったかが述されている。

第六章の「禅と茶道」では、中国から茶を持ち帰った栄西以来、禅僧が茶を伝え、一休、珠光、利休とつないで茶の湯が完成された歴史を記述し、「和、敬、清、寂」という茶道の精神と禅との関係を解説している。

 

第七章の「禅と俳句」では、「悟り」と「宇宙的無意識」について論じ、直感、直覚、孤絶、風雅等の言葉で俳句と禅の不可分の関係を説明する。

松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」は、もともと禅の修業をしていたときの禅問答に発しているという。芭蕉がその師仏頂和尚のもとで参禅していた頃、和尚が「今日のこと作麼生(そもさん)」(近頃どうしているか)と問うたのに対し、芭蕉は「雨過ぎて青苔湿う」と答え、仏頂がさらに「青苔いまだ生ぜざるときの仏法いかん」と問うたところ、芭蕉が「蛙飛び込む水の音」と答えたという。「古池や」は、あとから十七文字の俳句にするため附加されたということのようである。

 

パラパラと本をめくっただけだが、広範な日本文化の根底に、Zenのこころがあることが理解できた。

 

すぐには、結果がでないが、なんとなく真の自己(自分探しの到達点)が見え、真理への目覚めへの準備が進行しつつあると実感するようになる。しかし剣道の試合、学科の試験に集中しきれない悩みは続いた。

 

夢で沢庵さんに悩みを訴えた。夢の中で沢庵さんは、二人の人を紹介してくれた。一人は鈴木正山という江戸初期の禅師、一人は山岡鉄舟という幕末から明治の剣豪。

 

鈴木正山の仁王禅。

関が原の戦や大阪の陣に参加した三河武士の出で、出家して庶民の立場からの禅のあり方を説いた。武士時代から常に生死について考えてきた正三は、特定の宗派に拘らず、より在家の人々に近い立場で、仁王・不動明王のような厳しく激しい精神で修行する「仁王不動禅」を推奨した。「弱気を払って、仁王像や不動像のように厳しい心、激しい心を持って坐禅をし、その気持ちを一日中持ち続けよ」 うるさい理屈は抜きにして、こぶしを握り締め、仁王のように睨みつけて、ドーンと坐ってみよ。

 

山岡鉄舟の無刀流

江戸から静岡まで決死の軍陣突破を試み西郷隆盛との会談を実現した話で有名。明治になって明治天皇のご養育係を勤めた。

明治13年3月30日に禅で大悟し、永年勝てなかった一刀流の浅利又七郎と対してこれを制し、無刀流を開く。大悟したとき、滴水和尚から与えられていた公案は、「両刃鋒を交えて避くることを須(もちい)いず。好手は還って火裏の蓮の如し、宛然として自ずから衝天の気あり(剣をもって相対し、心を一にして逃げずに向かえば、火の中にある蓮の花のように天を衝く働きがある)」であった。山岡鉄舟、勝海舟ともに、幕末から明治にかけて生き抜いた力はただ禅と剣の二つの修行から得たと述べている。

 

りょう太は、鎌倉円覚寺の居士林(寺に付属する一般の人の坐禅道場)に、一人で坐禅に行った。そして一つの得心を得た。牛を見た(見牛)。呼吸「三昧」の境地に達し、禅の素晴らしさを体験した。

 

 

Zenの追求・社会での実践

 

りょう太は心を落ち着けて受験に臨むことが出来、大学に進学できた。

大学でも剣道を続けたが、しばらく会っていなかった高校時代の先輩に再会し、自分より剣道も弱く何時も神経質な自信のなさそうなふるまいの先輩だったが、自信と威厳を備えたその人格の変容に心の底から驚いた。「どうしたんですか」と聞くと、井の頭の武蔵野道場で公案禅を修行しているとのこと。

 

武蔵野道場では、龍光先生という大学哲学科卒業の居士が指導していた。在家禅の師家ではあるが、日本では白隠禅師以来(したがってお釈迦様以来)の法系(悟りの系譜)を継いでおり、臨済系の公案禅で参禅者を指導する師家だ。

 

Zenとは何か。

Zenはお釈迦さま(釈迦牟尼仏)に源を発する修行であるが、狭い意味での宗教ではない。その意味では、宗派仏教に限られるものではなく、世界の宗教にも通じる側面をもつ、大きな広い概念で捉えられなければならない精神作用である。

 

在家禅(居士禅)とは何か。

坐禅は、禅宗のお寺で僧侶が修行のために行っているが、専門の僧侶だけでなく、一般の市井人(居士)が修行する必要があるとして、寺院以外の道場で禅会が行われている。すなわち江戸時代以前では、役人、百姓、商人、絵かき、彫刻家、詩人・俳人などが禅の修行を通じて日本文化の担い手となってきたことを踏まえて、明治以降にも学生、女性、サラリーマン、事業家など(僧侶に対して在家の人、居士と言います)市民一般が行う坐禅の場が必要と認識されたためである。

 

戒定慧の三学とは。

戒は正しい行いをすること。定はこころの落ち着き(禅定力)を得ること。慧は真理を見極めること。禅修行の基本はこの三学を修めることにある。りょう太の剣道部の先輩の自信と威厳は坐禅修行の結果身に備わったこの定(じょう)の力(禅定力)によるものであろう。

 

公案の説明。

公案とは、公府の案牘(あんとく)の略語で、公文書のこと。禅では弟子に与えられる質問(テーマ)のこと。師家が修行を誘導するため、一対一の問答を通じて弟子の心の状態を吟味する個別指導を「独参」という。公案が事前に与えられ、弟子は独参の合図で陰寮(師家の個室)に入って見解(けんげ)を示す。師家が見解を肯定すれば次の公案が与えられ、否定すれば直ちに退出を促す鈴が振られる。公案の数は1000を超え、修行には10年以上かかるのが通例である。

 

りょう太は、最初の公案をもらって、びっくりした。

「無字」の公案である。

「無門関」という禅書の第一則にあり、「趙州(じょうしゅう)無字」の公案ともいう。趙州和尚(中国の唐の時代の師家)にある僧が「狗子(犬)には仏性が有るのか無いのか」と問うたところ、和尚は「無(む)」と答えた。仏教の開祖お釈迦様は全ての生類に仏性があると言われた。それなのになぜ無と応えたのか。この無に参じよという公案である。

 

理屈で考え、頭で考えてもだめだ。何度も「まだまだ」と師家の鈴が振られ退出を余儀なくされる。

しかし、坐禅の時間をかけ、吐く息も「ムー」、吸う息も「ムー」と自己を忘じていくと、時節の到来とともに、虚無の無ではない、有無の無でもない、それらを超えた宇宙的な自己が顕現してくる。りょう太は、「無」に徹して、一つの境地を得た。

 

りょう太は、生来の高所恐怖症だった。それも極端で高いところに立つと足が震えて止まらなかった。ところが、そのりょう太がバンジー・ジャンプに挑戦し、見事自然に飛び込むことができたのだ。これぞ、坐禅のおかげだと、さらに人生に自信を深めることが出来た。

 

りょう太は卒業し、会社員になってストレス社会の中でもまれ、与えられた仕事上の問題解決に努力し、成長していった。企業組織の一員として、自分と組織集団の問題を公案のつもりで解いていった。全体と個、環境と自分の関係が問題であり、宮本武蔵の「観見」二つの目の目の付け所は、仕事の上でも常に意識できた。

 

自我を抑制し、全体の中で自分を生かす術が、組織運営のコツである。相手の立場に立つって世の中を動かすこと。日本文化の「おもてなし」もZenの心に通じるものがある。

 

ホウレンソウ・・企業組織の決まりごと、報告・連絡・相談の略。組織や社会は個人プレーだけでは動かない。個人の力は必要だが、同時に組織全体を動かすために、自己犠牲の精神で、他人に尽くす行為が必要になる。

 

チームワーク・・これも同じこと、日本人はチームワーク、すなわち組織の一員として自分を殺すことは慣れているが、逆に個人としてリスクをとってガムシャラに頑張ることが少ない。リスクを恐れる小心な選手は、サッカーの試合でパス回しばかりやって、ガムシャラにシュートすることが出来ない。禅では、自我を殺しながら、一方でリスクをとって全力で物事を遂行するガムシャラな行為も大事にする。

 

「胡 来れば胡現じ、漢 来れば漢現ず」

これも趙州和尚の禅語だ。ここにいう「胡」とは中国の西方からシルクロードを経由してやって来た人びと、胡人のことであり 、「漢」は漢人のことである。一点の曇りも無い鏡が手に入れば、現れたものが即座に少しの歪みもなく正しく映る。心を鏡のように磨いておけば、世の中のすべては滞ることなくさらりと即座に裁ける。

 

りょう太の禅の修行では公案が進んだ。

 

公案には、「碧巌録」「無門関」等中国の禅書からのものも多いが、白隠禅師等日本人禅師が創出した公案も多い。白隠の「隻手音声」(せきしゅおんじょう)は、両手で叩けば音がするが、片手の音はどう聞くかという問いである。頭で考えても回答は得られず、坐禅の中で全身全霊で「隻手」に参じていく他に方法はない。そうすれば何時か「隻手」の音が聞こえてくる。神道、古代史などをテーマにしたものもあり、興味深い世界だ。

 

坐禅の修行の過程では、公案も有用だが、しかし、やはり只管打坐が基本だ。

公案修行、入室参禅(にっしつさんぜん)は、禅修行の一方便(手段)にすぎない。すなわち透過した公案の数を数えるような禅は「はしご禅」といって軽蔑される。やはり、坐禅瞑想を深めることによって、全身で真理に近づくことが最も重要だ。公案に頼らず坐りぬくことを只管打坐(しかんたざ)という。一日10分でも坐る習慣をつけ、日曜日の坐禅会だけでなく、集中的に坐る「摂心会」への参加も続けた。毎月開催される摂心会では、4日間又は8日間、一日述べ10時間坐る。もっとも忙しい社会人や高齢者は、途中参加の日帰りでも、数時間の坐禅でも良い。

 

禅の修行は、十牛の図の4.得牛(牛を捕獲)を経て、5.牧牛(牛の飼い慣らし)、6.騎牛帰家(牛と一緒になる)、7.忘牛存人(牛を忘れる)、そして8.人牛倶忘(人も牛のない世界)に至り、さらに9.返本還源(空の世界から現実の世界に返り、松は緑に花は紅)、そして10.入鄽垂手(欣喜雀躍して日常生活をおくる)という境涯に至る。

(注)牛=真実の自己

 

 

活人剣の会得

 

りょう太は、「五輪の書」を書いた宮本武蔵と「不動智神妙録」を書いた柳生宗矩の二人が、全日本剣道連盟が設けた剣道殿堂で歴史上の二大剣豪として「別格顕彰」の対象となっていることを知った。そして、禅のこころを剣に生かした剣禅一致の境地は、宗矩の父新陰流二代目の柳生石舟斎宗厳、始祖上泉伊勢守信綱に始まることを学んだ。

 

柳生には徳川幕府に仕えた但馬守宗矩の流れをくむ「江戸柳生」と、上泉信綱、柳生石舟斎のあと、石舟斎の嫡孫の柳生兵庫助利厳に継承された「尾張柳生」の流れがある。宗矩の門弟が各地の大名家に指南役として採用されて全国に普及したのに対し、利厳の子孫や弟子達は基本的に尾張藩内での指南に専念し、明治維新後剣術を伝える事を放棄した江戸(東京)に住む柳生家に対して、尾張(名古屋)に住む利厳の子孫は絶え間ない努力で新陰流を現代まで伝承させている。

 

りょう太は、今日まで伝承されている同流派の相伝書、柳生新陰流第21代柳生延春著「柳生新陰流道眼」を読んで、そこに見られる剣禅一致の極意に接し、大きな天啓とひらめきを感じた。

 

剣道の奥義書では、多くの場合、「水月」の心が強調されていたり、「一円相(一画で書かれた○の字)」が書かれている。新陰流の場合もそうだ。

 

まず、剣を持って対する時の心の状態を水月で表現する。

「映るとも月も思わじ映すとも水も思わじ猿沢の池」と詠われているのように、月にも水にも、映そうとする心や映してやろうと言う心が事前に働いているわけではない。月と水が相対する時、間髪を入れずスッと水に映るだけである。十牛の図でいえば、第8図の「人牛倶忘」(人も牛のない世界)の心の状態に近い。

 

一円相は、図形の丸(円形)を一筆で描いたもの。悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものである。

 

禅においても、剣においても「活人剣(かつにんけん)」と「殺人刀(せつにんとう)」という概念が重視される。基本的には禅の用語で『無門関』や『碧巖録』などに出てくる。師匠が弟子の指導に用いる活殺自在の手段であり、相手の自由を奪って許さない手法が「殺人刀」で、相手に自由を与えてそれに対応する手法が「活人剣」だ。剣の奥義(刀法)としても多くの流派で使われ、柳生新陰流では、自己を立てて相手を封じ込めて勝つ刀法を殺人刀、相手に自由に行動させそれに自らを適応させて勝つ刀法を活人剣と言う。相手に攻めさせてそれに適応する「後の先」の刀法で、素手で相手に対してその剣を奪って制する「無刀取り」などがある。

 

剣には、先、後の先、先々の先の三つの先がある。後の二者は、相手の気や動きを待って自らの動きをなすことを言い、活人剣の働きだ。柳生では「転(まろばし)」という天地の運行に合わせた自然の動きを新陰流の極意として重視する。自在に転変する活き(はたらき)と山頂から巨岩が転がり落ちる性自然の活き(はたらき)である。

 

五輪の書でも柳生新陰流でも、目の付け所(目付)を重んじ、「見(けん)の目」(目許で見ること)の他に「観(かん)の目」(心で見ること)を重視し、「観の目つよく、見の目よわく、うらやかに見るべし」と言っている。活人剣を振るうときには、この全体を大きく見る観の目が重要となる。

 

世界に対置するものとしての自己の認識(見の眼で相手に対する:殺人刀)と世界に包摂されるものとしての自己の認識(観の眼でうらやかに見る:活人剣)の二重構造を、現実の「場」において確認した上で後者(活人剣の場)を重視し、そこに「リアルタイムの創出知」を発揮することが、ビジネスの世界でも画期的なイノベーションを生起させる術であることを悟った。スティーブ・ジョブズをはじめ、世界のイノベータ―の立脚点はそこにつながっていたのだ。

 

りょう太は、中学生のときにパラパラとしか見なかったオイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」を精読した。オイゲン・ヘリゲルは戦前東北大学で教鞭をとったドイツ人の哲学者で、師について弓道を学び、その真髄にあるZenの心に気づき、このことを本書で解説している。彼の弓の修行経験の中で、もっとも感銘を受けたのは師が暗中の的を射た事実であった。

 

(同書から要約すると)「師は、夜に私を呼んで、しばらく沈黙の対座をしたのち、的がぼんやり見えるよう蚊取り線香を砂地に置かせた上で、暗闇の中で弓を構えた。師はいつも通りの礼法で弓をつがえて矢を射、矢は真暗闇の中へ飛んで行って、的に当たったのが炸裂音でわかった。二本目の矢もまた当たった。明かりをつけて確認すると、第一の矢が的の黒点の中央に当たり、二の矢が一の矢の筈を砕きその軸を裂き割って、黒点に並んで刺さっていた。私は唖然とした。・・・・師は、この射の成功は私がなしたことではない。『それ』が射たのだと述べられた。」

 

Zenでは、狭い意味での「私」を否定し、真我・大我を重んじる。「自己本来の面目」、「主人公」、「無為の真人」などとも表現する。私ではない、私としての「それ」のことである。

 

十牛の図で言えば、牛という真実の自己を追い求め、自己の生と悟りを追求してきた段階を経て、現実の世界に戻り相対的な世界の中で、諸々の現実と共生し、そこから新しい価値を創造していく、第9図の返本還源(空の世界から現実の世界に返り、松は緑に花は紅)、そして第10図の入鄽垂手(欣喜雀躍して日常生活をおくる)の心の状態につながる。

 

りょう太は、ついに柳生新陰流に伝わる諸技と「無刀取り」を会得して、剣とZenの世界で一段の階段を上った。

 

しかし、Zenも剣も、もうこれで良いと言う終わりはない。Zenでは公案を全て透過しても「さらに参ぜよ30年」と言われる。山本常朝の「葉隠」にも。修行は一生成就の念を持たず、自慢の念も卑下の心も持たずに、日々仕上げる、果てしなき過程であるという趣旨が述べられている。

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ゆみのZen ― 女性の活躍のために

 

大山ゆみは、りょう太の姉。大学生でメディア学部のデザイン学科、将来に漠然とした明るい展望を感じている。日本でも世界でも高齢化が進む中、女性の活躍の余地が広がりつつあり、自分は結婚や子育てとともに、社会の一員として世のため人のためになる人生を送りたいと期待している。

 

ただ、キャリアーウーマンとして華やかに競争社会に出て、勝ち取るものは何なのか、人生の価値は何なのか、未だに確たる回答を得ずに心の中で模索を続けている。

 

そんなときに、弟のZenへの取り組みに心を惹かれ、自分も一緒に取り組みを始めてみた。

 

明治以来の日本の女性活動家について勉強するうちに、女性活動家のリーダーと言われた平塚らいてうが、Zenを通じて、社会に飛び込み、社会の荒波を乗り越える、強い独立心を得て、大きな働きを為した実績を学んだ。平塚らいてうは、明治19年に東京で生まれ、戦後の昭和46年に85歳で逝去した思想家、作家で、日本社会に女性解放運動で大きな功績を遺した。彼女の強い独立心と行動力の裏には、禅の修行があった。明治36年に日本女子大学に入学した頃から、思想的葛藤に陥り、哲学や宗教の本に没頭して、Zenの存在を知り、禅修行を開始して、自己の真実に目覚めたのであった。

 

ゆみは友人と海外を旅行したとき、日本よりも海外でZenが注目されていることを知った。アメリカの西海岸では禅センターがあり、オランダやポーランドなどでも禅の摂心会(数日間の集中的な坐禅会)が定期的に行われていることを知った。

また、ITの世界や、デザイナーの世界にも関心を持っていたところ、アメリカのシリコンバレーを訪れた際、世界を変革するイノベーター達もZenの心を大事していることを学んだ。スマートフォンやIPadの発明者であるスティーブ・ジョブズの発想も、原点はZenであったと自身で述べている。ジョブズ氏は若いころインドに旅して仏教に触れ、1970年代にカリフォルニア州の禅センターに通って、日本出身の禅僧、故・乙川弘文氏と交流を深めたといわれる。乙川氏はジョブズ氏の結婚式を司り、86年にジョブズ氏がアップルのCEOを解任されて設立した「ネクスト」の宗教指導者にも任命されるなど、2人の交流は長年にわたって続いた。彼が開発した製品のデザインには、ミニマリスト的なシンプルさがあるが、Zenに由来するものであろう。

Zenは今、日本の中よりも世界で大きく注目されていることが解った。

禅学者の鈴木大拙の本は、英語で書かれ、世界で読まれている。その「禅と日本文化」はもともと英語で出版され、日本語に翻訳されたものなので、若い人にも読みやすい。大拙はZenと日本文化の関係は深く、かつ、広汎に及ぶと解説する。日本文化における「形式の無視」、「非均衡性」、「無執着」、「侘び・寂び」などはZenのこころに由来する。如拙、雪舟、狩野元信などの水墨画や日本美術に、Zenが与えた影響は大きい。明治以降でも、平櫛田中、北村西望など禅に関係がある彫刻家も少なくない。俳句とZenの関係も深いものがある。松尾芭蕉自身もZen修行者であり、「古池や、蛙飛び込む、水の音」の句は、師匠との禅問答に由来するという。栄西、一休、から利休に至るZenと茶道との関係もまた一体不可分のものがある。尺八も唐代の風狂の禅者・普化を始祖とする虚無僧が吹く楽器として日本に伝わり現在に至っている。

 

ゆみは、デザインや美術の分野での、Zenのこころの大切さに、目を開かされた。

平塚らいてう、スティーブ・ジョブズ、鈴木大拙から、デザイナーとしての将来の生き方の基盤を見出すことが出来た。

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けんじのZen ― 世界の平和と発展のために

 

黒崎けんじは、大学准教授(専門は発展途上国支援)で、ゆみの指導教官。民間企業経験もあり、若い頃からの坐禅への取り組みも長く、Zenの本質が解ってきている。大学での授業の合間に、発展途上国や紛争地域を飛び回り、世界の貧困や差別の解消にボランティアとして取り組んでいる。

 

けんじは、数年前に幸福の国ブータンを訪れた。ブータンではすべての学校で、授業の初めに黙想の時間がある。それも、長さは私たちが黙祷で長く感じる1分ではなく、2分から3分はかける本格的なもの。朝にすれ違った登校途中の女子中学生の集団に、あいさつの声をかけると、間髪を入れず一斉にグッドモーニングと明るい返事が返ってきた。坐禅などの黙想は、人間本来の素直な心を取り戻す機会になる。子供たちの目の輝き、間髪をいれない明るい挨拶、人間のこころは繋がっているということが実感された。ブータンの社会は、宇宙との「一つ心」の魂のつながりが実感できる空間だと感じた。

 

けんじの趣味は、合気道。合気道は、子供や女性にも適した省エネ型のスポーツだ。坐禅の心を持ちながら楽しむスポーツなので、「坐」禅に対して「動」禅と理解していた。合気道では、心が体を動かす。

 

けんじが出あった合気道の師範は、安井先生という世界的に活躍する物理学の先生であった。安井先生は、ヨーロッパに滞在中に九死に一生を得る経験をしたが、それがマリア様の愛であったという。

 

マザー・テレサ(インドの修道女、1979年ノーベル平和賞受賞)は、街で行き倒れの瀕死の人がいると優しく声をかけ、ひょいと肩に担いで修道院まで連れて行き、治療をしたという。死んだ人は脱力していて大の大人でも担げないほど重いが、テレサの愛の言葉は、瀕死の人の心に反応し、その人の全身の不随意筋が働いて、結果的にテレサに負担をかけないように担がれていったのだという。

その真理をベースに、愛をもって人に対すれば、人は働きかけた人に無心で反応し、自らの不随意筋を動かして、気持ちよく自ら投げられるのだという。

 

キリスト教と禅の共通点。鎌倉にある在家禅の会には、シスターも大勢参禅している。

瞑想は宗教の本質だ。世界の宗教は、祈り(瞑想)が原点である。倶像崇拝や教義への盲従は、その本質ではない。

 

宗教と科学の融合。最近、宗教と科学との融合を主張する人達が増えている。

遺伝子学者村上和雄先生は、著書「生命の暗号」で遺伝子の働きを知るとき、目に見えない「サムシング・グレート」を感じざるを得ないと書いている。

波動と粒子が同じものであるが如く、量子力学と仏教思想(インド哲学)は、同じ現象を違う角度から語っているという。この見方からは無機物と有機物の境目もなくなる。

 

ビッグバン以来の進化の過程から自分と世界を見ることも重要だ。

最近、約140億年前のビッグバン(宇宙誕生直後の大爆発)から今日までの進化の過程で、無機物から有機物が生まれ、生命が誕生してきた歴史を、「ビッグ・ヒストリー」として高校生に教えるプログラムが世界各地で始まっている。宇宙は元々「ばらばら」の物質ではなく「一つ」のエネルギー。自分のいのちには宇宙140億年の歴史が込められていると、授業を受けて目を輝かせる若者が増えているという。

 

先祖の数を数えると、2人の両親、4人の祖父、それから2のn乗で増えて、10代遡ると1000人、20代遡ると100万人、30代遡ると10億人、40代遡ると10兆人が自分の先祖(10兆人の誰一人欠けても今の自分はない)。40代と言うと約800年前の鎌倉時代。当時の推定人口は700万人だから現在の日本人は全てどこかで共通の先祖を持った遠縁の親戚ということだ。(岡野守也著「生きる自信の心理学(コスモス・セラピー入門)」より)

 

自己とは何か、全てはみなつながっている。自己は世界そのものだ。

そこには対立はない。真に宗教を理解している者は宗教戦争には向かわない。教義の盲信を迫るのは真の宗教ではない。けんじはそう考える。

 

アジアや中東、アフリカの貧困地域を訪問しているうちに、日本にいては全く分からなかった、世界から日本に求められている役割に気がついた。大国のエゴや宗教・民族対立のはざまで、平和国家日本のボランティアの人たちの献身的な努力が、貧困国の人びとの心に応え、大きな役割を果たしていることを実感した。この道は人間へのやさしさをベースとするZenの心に通じるものがあり、これからもライフワークとして追求していきたいと思った。

 

植民地主義、人種差別、奴隷制度、黄禍論、文明の衝突論・・・そして世界はイスラム国(IS)の挑戦を受けている。世界の対立は解消できるのかできないのか?

 

世界の平和には、Zenの心、これしかないと悟る。けんじは勇気凛々、人のため世界のために尽くそうと心の底から決意を新たした。

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だいすけのZen -近未来の特異点(Singularity)に備えて

 

藤田だいすけは、企業OBの老人で専門はIT技術、地域のコミカフェの常連、若者や女性メンバーにとぼけた雰囲気で接しているので人気がある。剣道は達人の域に達しており、Zenの修行も若い頃から続けている。

 

だいすけは、常日頃から技術の異常な進歩に人間がどこまで追いつけるのか心配している。

 

第一に、日本の技術は、メカニカルな技術、たとえば電気製品や機械、自動車のようなモノづくりの分野では、世界から評価される水準を達成できたと思っている。ところが日本は技術変化への対応に遅れ、IT技術では後れをとっている。

 

第二に、地球温暖化など、環境破壊がすすむことは、人類の生存を脅かすものとなるという危惧がある。

 

第三に、原子力エネルギーは、先の東日本大震災による福島原発事故に見られるように、人類にとって扱いにくい危険なエネルギーである。当面は、生活水準の維持のために、一定程度は慎重に維持していく必要はあるとも考えているが、人類全体としては現在のようなテンポでその活用拡大が進むことは心配で、地球人類としての原子力依存の削減や管理の強化が必要ではないかと考えている。

 

第四は、人口知能の急激な進歩が人間を打ち負かし、人間への脅威、人類への脅威にならないかという危惧である。最近、将棋や囲碁のプロの棋士やロボットに大負けしたニュースが続いている。世の中は急速にIOT(Internet of Things)の時代に入り、コンピュータも人間を介さず、機会や道具同士が人口頭脳を媒介につながり、加速度的に生産性を高めて人間の管理限界を超えて進化しつつあるように思える。専門家はこのように人間が科学技術を支配できなくなる近未来の時点を「技術的特異点(Technological Singularity)」と表現して、 それに人類として如何備えるかを心配している。

 

だいすけは、日ごろコミカフェでごろごろしながらも、空をながめては、このような人類の危機をZenの精神でどのように解決できるのかを考え続けている。そして、必要なのは技術を「見の目」で分析的に見るのではなく、「観の目」で大きく見ることだ。

 

「活人剣」の考え方は、相手と対峙しこれを封じ込めて勝つ「殺人刀」ではなく、観の目で世界全体をうらやかに見て、相手を生かし相手と共創するドラマ作りに参加する立場を重視する。真のイノベーションは、データを大量に処理するだけのガチガチの殺人刀(人口頭脳)からは生まれず、相手も自分も自由に動ける活人剣の共創の世界からしか生まれない。臨済禅師の言葉通り、「随所に主となれば立処皆真なり」(こだわりなく自由に動けば、立つところは全て真実の世界となる)ということだ。

 

10年ほど前になるが、人口知能に詳しい茂木健一郎氏は、「人間の知性は、ルール・論理で書けるものではなく、強いて言えば直感としか言いようのないものが先にある」として次のように述べたが、この意見は今日でも変わっていないのではないか。

「IBMのディープブルーというコンピュータがチェスで人間のチャンピオンを破ったというニュースがありました。これは人工知能がついに人間と同等のレベルとなったと考えがちなのですが、実は人工知能の研究者はこの結果に非常に落胆したわけです。このコンピュータのプログラムは単なるアルゴリズムのお化けで、人間の脳には苦手な単純作業を高速でやらせて勝ったに過ぎなかったのです」

 

これからすすむ人類の技術進歩に人間がどこまで追いついて行けるかの鍵を握る、人工頭脳を超える人類の英知はZenに残されていると考えている。

 

禅の公案「大隋劫火(だいずいこっか)」

ある僧が大隋和尚に質問した。この世界が終末を迎え猛火(劫火)により皆焼けつくす時が到来したら、我々の本性(仏性:自己本来の面目)はどうなるのか、焼けつくしてしまうのか、それとも壊れずに残るのかという質問である。大隋の答えは、「壊」、すなわち焼けつきるの一言であった。これをどう受け取るか?

Zenのポイントは、世界と自分は二つあるのではなく、一緒でその間に隔てはないということだ。

 

ただし、それはニヒリズムではなく、運命を積極的に受け入れるということである。

 

一方で、Zenの心で進むとき、独立不羈の人間精神は、いかなる環境にも屈せず闘い、事態をのり越えるため最善を尽くす。

 

その闘いは、新しいラッダイト運動(機械打ちこわし)に向かうのか、人間が人工知能をコントロールする新しい手段を開発するのか、色々な選択肢の中で、まさに無心で最善の道を選択するしかない。

 

私たちは、無念無想の中で、叡智を発動させ、最適解を見出していくしかない。そのような闘いに毅然として赴く勇気をZenは与えてくれる。その勇気と力を人類が持ち続ける限り、人類はさらなる進化の歩みを続けることが出来るのだ。

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